京都 高瀬川

移りゆく季節、薫風が駆けた爽やかな5月もそろそろ終わりやがて雨の季節。
梅雨がやって来る前に若葉の時節を旅しようと友人とふたり京都へ出掛けた。

友人が自慢の折りたたみ自転車は車のカーゴスペースにすっぽりと収まった。
今回は自転車で京都の二条から伏見まで高瀬川の流れを巡る旅であった。

二条大橋

高瀬川は豊臣秀吉の認可を受けた豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)によって
開削された全長10キロの運河である。

その水運による物流は大正9年まで続いたというからおよそ300年の歴史がある。

午前9時30分、二条大橋から木屋町へと入る。 朝はまだ静かな木屋町通り、
一之船入の付近に係留された高瀬舟に柔らかな朝の光が注がれていた。

高瀬舟

繁華街の真ん中を流れる高瀬川、穏やかな水面は緑の影を浮かべつつ
キラキラと輝き流れていた。

都市に緑と水は不可欠である。 どれだけの癒しを生み出してくれることか。
水運の役目は終わっても高瀬川は今も人々に大切な癒しを運んでいた。

高瀬川

二条より鴨川の水を引き込み鴨川と平行して南下した高瀬川は十条でふたたび
鴨川に注ぐ。

五条通りまでの高瀬川はよく整備されており、僕たちは順調に川と並走するも
次第に住宅や高速道路に進路を阻まれ何度か流れを見失った。

松本酒造

かつて高瀬川は十条より鴨川を横切って対岸の東山区から伏見区を流れて
宇治川へと注いでいた。

しかし、昭和10年の鴨川大洪水の後に行った浚渫工事により鴨川の川底が
2mも低くなった。
そのため伏見へと流れていた高瀬川は取水できなくなり分断されてしまう。

鴨川からの水を失った旧高瀬川は写真の松本酒造の脇を流れる小さな
水路となっていた。 (新たに造られた東高瀬川も平行して流れている)

この東高瀬川の川幅は広く堤防上の道は視界が開け、郊外の風景を楽しみ
ながらペダルを漕ぐことができた。

伏見 十石船

いよいよ宇治川との合流地点、二条を出発してちょうど2時間の冒険だった。

そこは京橋と呼ばれる地で秀吉が伏見城を築城する際に建築資材を運ぶために
掘られた濠川(ほりかわ)や宇治川派流が交わる川湊であった。

これより高瀬舟の荷は三十石船に移され宇治川、淀川を経て大阪へと運ばれた。

寺田屋

宇治川派流沿いには伏見の観光名所、船宿「寺田屋」や月桂冠大倉記念館がある。

さすがに日本を代表する酒所、街に入り蔵元の脇を通ると何度も酒粕の香りがした。

キザクラカッパカントリーで昼食を済ませ次なる目的地、伏見稲荷大社へ向かった。

千本鳥居

外国人旅行者に今、最も人気のある伏見稲荷大社の千本鳥居だ。
修学旅行中の中学生も見掛けたが圧倒的に外国人旅行者が多い。

千本鳥居があるのは本殿の裏、稲荷神が降臨したのが稲荷山で
その山を巡拝するのが「お山巡り」である。

約1万基ともいわれる朱塗りの鳥居をくぐりつつ延々と続く階段を上がる。
山頂にある「上ノ社」へ参り一周してくると約4キロ、2時間ほどかかる。

京阪電車

精神力は未だ衰えることを知らないが、いかんせん体力はめっきり落ちた。
お山巡りに全精力を使い果たし帰路は電車を選択、最寄りの駅へと向った。

京阪電車「伏見稲荷」駅で自転車を携行袋に入れて「三条」駅へ移動。
若き日によく乗った京阪電車。 「何十年振りだろうか」

精も根も尽き果てたかのような顔をして優先席に座ると面白いものを見つけた。
座席の背もたれ部分にプリントされたデザイン・・・・・ 「ナイス、京阪電車」

優先席

この日の京都の最高気温は33度、湿度21パーセントの真夏日であった。
前日に暑くなることは知っていたので帰りに銭湯へ寄り汗を流すことにしていた。

京都で銭湯といえばここで決まり、北区紫野にある「船岡温泉」だ。
街の銭湯と侮るなかれ船岡温泉は文化庁指定、登録有形文化財の銭湯だ。

船岡温泉

巨石を組んだ石垣に唐破風の重厚な軒、入口の面構えからして違う。

銭湯であるがゆえ石鹸とシャンプーの備え付けは無いが入浴料は430円だ。
700円、800円するスーパー銭湯よりはるかに価値があるではないか。

入口に無造作に停められた自転車も庶民的な銭湯の風情でこれまたいい。

透かし彫り

中に入ってまず驚くのは脱衣所の内装である。格天井に鞍馬天狗の大きな彫刻、
洗面所は大正時代に流行ったという凹凸のあるマジョリカタイル。

男湯と女湯を仕切る壁の上には見事な透かし彫りの欄間が施されている。
上海事変をモチーフに彫られたとか、時代背景や当時の人々の関心が偲ばれる。

大正時代の料理旅館から始まり、時を経て風呂屋になった。
贅と粋を好んだ西陣という土地柄に生まれた銭湯であろう。

一日中ペダルを漕ぐ体力はなくなってきたけれど、歳を重ね情趣を解する力は
徐々に養われてきたのではないか。
老成なる言葉の意味を感じつつある今日この頃である。
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京都 フォト・トリップ

雨の日が多かった4月、頭の中まで湿っぽく心の中も日照不足。
草木が芽吹き、花が咲き始めるこの時季にどこへも出られない。
そんなフラストレーションを一気に払拭しようと、やっと晴れた
4月下旬、一眼レフを携えぶらりフォト・トリップ。

祇園提灯
カメラの腕は下手でも京都ならそれなりの絵が撮れるだろうと千年の都へ。
シャツ一枚でも汗ばむくらいの一日、石塀小路から高台寺へと歩いた。

江戸の初期に八坂神社の門前で営業した茶屋が始まりとされる花街「祇園」
八つの町にちなみ八個のつなぎ団子をあしらった提灯が軒下に下がる。

祇園祭 粽
そして家々の玄関に飾られているのが祇園祭のちまき。
ちまきと言ってもお餅が入っているのではなく厄除けのお守りだ。
祇園界隈の家ではよく見かける。 ここが他の町とは違うところ、
京の人々は京の文化や風習と密接に暮らしている。

石塀小路 街燈

面白い絵が撮れるだろうと思いやって来たのはここ「石塀小路」だ。

石塀小路
路はやや袋小路といった感じか、そこに料亭や旅館がひっそりと佇む。
祇園の多くがビルに建て替えられスナックなどに変貌するなかで昔の
情緒を漂わせる小路である。

石塀小路 石畳
石塀小路の歴史はまだ浅く大正初期だとか。
一時期お妾さんの家が多かったことから「お妾通り」とも呼ばれたらしい。
石畳の一部は昭和50年代に廃止された京都市電の敷石を移設したそうだ。
そうだ昭和48年、僕が学生生活を始めたときはまだ市電は走っていた。

カメラ小僧
登山靴を履いたカメラ小僧も我を忘れてシャッターを押していた。
直ぐ近くの二年坂や三年坂あたりは観光客でごった返しているが
ここは格段に人が少なくご覧のような静けさだ。

高台寺
東山を借景とした高台寺のお庭。
若い頃は神社・寺院には全く興味なかったけれど年を重ねて少し落ち着いたか、
依然として仏像などに興味はないが庭を愛でる目は養われてきたように思う。

ヤブツバキ
竹林を背景にシロバナヤブツバキ。 たった一輪の残り花。
一輪、それ故に尊く、白花、それ故に美しい。

ツバキは日本固有種で学名も「カメリアジャポニカ」と言う。 
葉の深い緑に花の紅が際立ち、ツバキは古来より人々に愛され
ユキツバキから多くの園芸品種がつくられた。
ちなみに、このシロバナヤブツバキは野生種。

クロバイ
こちらは境内の一角に植えられていたハイノキ科のクロバイ(黒灰)の花。 
燃やした灰を染色の媒染剤に使われるハイノキ(灰の木)よりも葉の色が濃く
全体的に暗く見えたことからクロバイとなった。

樹冠いっぱいに白い花を付け遠くからでも見栄えのする木である。
春は桜ばかりがもてはやされるが桜以外にも美しい花木はたくさんある。

八坂の塔
二年坂を上がり清水の舞台まで行こうと思っていたが、あまりの人の多さに
うんざり八坂の塔へと下る。

普賢象桜
坂を下る途中、通り沿いに見事な八重桜が咲いていた。 
花をよく見ると「普賢象桜」であった。
この桜の歴史は古く室町時代からある園芸品種で、遅咲き桜の代表格だ。

特徴は八重の花の中から葉化した二つの雌しべが突き出すことだ。
その形が普賢菩薩が乗る象の鼻に似ることから「普賢象桜」になった。

花が散る際にも特徴があり花弁は一枚一枚散らずに花冠ごとポトリと落ちる。
足下にはふわふわの綿菓子のような花房がいくつも落ちていた。

上七軒提灯
お昼を過ぎて、もう一つの目的地へと移動。
ここは上七軒、京都にある五花街の中で最も古い花街だ。

室町時代に北野天満宮が火事に見舞われ、その修復作業の際に残った
材木を譲り受け七軒のお茶屋を建てたことが始まりという。

五つの団子が二本で十個の団子が描かれた提灯が軒下に下がる。
上七軒の白地に赤い団子は祇園の赤地に白い団子と逆である。

上七軒
ちなみに他の花街の紋はどうか?
高瀬川を往来する舟人たちのための旅籠や茶屋から栄えた先斗町は「千鳥紋」
歌舞伎などの芝居小屋が建ち並ぶ地に栄えた宮川町は「三ツ輪」である。

この写真の玄関は和菓子の有名店「老松」、さっそくお土産を買うことにした。

舞子うちわ
暖簾を分けて中に入ると、こじんまりとした店内の壁には舞妓さんたちが
夏の挨拶に配る「舞妓うちわ」が飾られていた。

竹の骨組みにヨシ紙が貼られ表に家紋、裏に名前が書かれている。
ここにも京の文化が香る。

夏柑糖
これは「老松」の夏菓子「夏柑糖」(なつかんとう)、4月1日より販売だった。
夏みかんの果汁と寒天を合わせ再び夏みかんの皮に注ぎ固めたもの。

このほろ苦さはゆず釜のように果実の皮を使うことにより醸し出されるのだろう。
冷たくさっぱり、とても美味しい和菓子でした。

三地蔵
<おまけ>
これは「ねねの道」から少し奥に入ったところにあった「三地蔵」
見ざる言わざる聞かざると否定的に生きるのではなくて
見るぞう言うぞう聞くぞうと積極人間になりなさいと諭すお地蔵さんだ。

観光地でお決まりの名所を巡るのではなく自分の感性で街並みを眺め
路地を歩いたら沢山のことを知り学ぶことが出来るでしょう。

今回は山岳ガイドの旅ではなく街角ガイドの旅でした。 おしまい。


カワセミ

お久しぶりです、池澤です。私は現在岐阜市に住んでいますが、

今日は近所の川でカワセミを発見しました。

カワセミは写真のように空中でホバリングしてから、

一直線に川に飛び込んで魚を捕まえます。

まるで弾丸のようです。

身体の青い色は、構造色といってシャボン玉のように

光の当たる角度で青く見えるのだそうです。

IMG_0003b.jpg

私、池澤は最近このカワセミの虜になりつつあります。

やはり野生動物には魅力がありますね!

それではまた!

マンホールのふた②

パート①の岐阜県・郡上八幡に続いて近県の街、まずは滋賀県。

琵琶湖の東岸には彦根や長浜など歴史ある街がいくつかある。
何度訪ねても飽きないエリアで、特に近江八幡がいい。

近江商人がつちかった街で「左義長まつり」など文化も豊かだ。
描かれていたのは八幡堀と白壁の土蔵であった。

近江八幡

続いて三重県は「東海道五十三次」の47番目の宿場、関町だ。
鈴鹿峠の麓で東西の交通の要所、街並みに当時の賑わいが感じられる。

むくり屋根に瓦細工や漆喰彫刻など独特の意匠が見られる町屋が残る。
そこには三度笠に合羽をまとった旅人がいた。

関宿

愛知県に入り、これは犬山市のマンホール。
やはり、国宝犬山城と木曽川鵜飼だった。

かがり火に集まってくるアユを鵜に捕らせる古典漁法。
何と、1300年もの歴史ある伝統文化である。

犬山城

さてさて、僕の住む岡崎市はどうだろうか?

260年余り続いた武家政権、徳川幕府を創設した徳川家康誕生の地だ。
幕府の保護の下、歴史ある建造物がたくさんあると思われがちであるが
悲しいかな、太平洋戦争において米軍の空襲で建物の殆どは焼失してしまった。

「岡崎」と言えば何を連想するか? やはり八丁味噌か。
デザイン的に味噌は描きずらいだろう。
描かれていたのは岡崎城に桜と夏の花火だった。

岡崎城

岡崎市のマンホールには何種類かあって、
こちらは城のたもとまで着けたという五万石舟が描かれている。

江戸時代の大量輸送は陸上でなく海上で船が重要な交通手段だった。
矢作川の河口・三河大浜(碧南市)から城下まで帆掛け船が行き交った。
城下町岡崎は川湊(かわみなと)の街でもあった。

五万石舟

そして、もうひとつ。これは矢作川に架かる矢作橋を描いたもの。

江戸城防御のため江戸時代は大きな川に橋は架けられていなかった。
しかし当時、日本で最も長い橋が矢作川に架けられていた。

ヒノキとケヤキで造られた秀麗な橋は江戸参府の途中シーボルトが
関心を持ち母国に伝えたという。
その橋の模型はオランダ国立民族博物館に展示されている。

矢作橋

番外として海外のマンホールをひとつ紹介しよう。
これはカナダのバンフ市内にあったもの。

ふたには「WOLF・STREET」とN・W・E・Sが刻まれていた。
さすがに国立公園内の観光都市である。
通りの名前と東西南北が表示され観光客に対しての配慮が感じられる。

残念ながら日本にこのようなマンホールはまだ見たことがない。

カンダ・バンフ

円いマンホールのふたに東西南北を表示すると、ずれた場合に問題が起きる。
ふたが四角なら方向さえ間違えなければ問題はない。 しかし、ふたは円い。
では、なぜマンホールのふたは円いのか?

人(Man)が入る穴(Hall)で、マンホールだとか。
下水や通信ケーブルが埋められているため、保守点検が必要となり人が入る。

正方形や長方形のふただと不都合なのは四角の対角線が一辺より長いからだ。
四角いふたは穴の中へと落下する危険がある。しかし、円ければ落ちることがない。 
事故を未然に防ぐためにマンホールのふたは円いのだ。

そしてもうひとつ、ふたの表面にデザインが施されるのはなぜ?

それは雨の時など、ふたの上に乗った車のタイヤがスリップしないように
凹凸を付ける必要があったからだ。
マンホールに描かれたデザインは単なる意匠ではないのだ。

さて、みなさん。
自分の街のマンホールにはどんなデザインがされているか知っていますか?









マンホールのふた①

旅に出て見知らぬ街を歩いていると時々、風変わりな建物や
面白い看板に出くわすことがある。
それは普段目にしている景色と違って新鮮であり
いろんな発見に胸躍らされる。

もう4~5年前になるだろうか。
花の山で知られる新潟県の各田山・国上山へ行った時のこと。
早朝、宿を抜け出し弥彦の温泉街をぶらり散歩していた。
まだ静かな街の道の真ん中でマンホールのふたに目が留まった。

ここは新潟県西蒲原郡弥彦村、日本で唯一村営の競輪場がある村だ。
そのふたには弥彦山と桜にロープウェイと競輪選手が描かれていた。

踏みつけて通り過ぎてしまうマンホールのふたにこんな面白い
デザインがされていた。
以後、訪れた街のマンホールのふたを見るようになった。

弥彦温泉

毎年、ツアーで北海道にも足を運ぶ。
これは大雪山の麓、上川郡東川町・旭岳温泉のマンホールだ。

北海道でしか見られないナキウサギが主役だった。
大雪山の山並みに花はエゾノツガザクラだろうか。

旭岳温泉

そして、釧路は阿寒町・阿寒湖温泉のマンホール。
やはり阿寒湖のマリモにタンチョウヅルが描かれていた。

マリモは「毬藻」と書く。 山中湖や河口湖や西湖にも見られるが
糸状で阿寒湖のマリモのように丸くはならない。
野球ボールぐらいになるまで150年~200年かると言われている。

阿寒湖

続いては、ツアーでよく訪れる長野県の白馬村のマンホール。
1998年の冬季オリンピック以来、道も整備されお洒落な街になった。

こちらはカラーで白馬三山とカタクリの花が描かれていた。
カタクリの頃なら白馬の頂には雪を描いて欲しかった。

白馬

長野は山ばかりでなく温泉地も多い。
こちらは13ヶ所の外湯で知られる野沢温泉のマンホール。

郷土玩具である「鳩車」が描かれていた。 アケビの蔓細工だ。
まわりの花は何だろう? 菜の花? ん? 野沢菜の花か。

鳩車

菜の花畑で知られるのは飯山市、そのマンホールはこれ。
雪帽子をかぶった童たちのスキー遊び。いかにも北信濃といった感じ。
思わず笑みがこぼれるマンホールだ。

飯山市は唱歌「ふるさと」や「おぼろ月夜」の舞台、その日本の原風景も
平成26年、北陸新幹線の飯山駅が開業すれば、ほどなく変わってしまうだろう。

飯山

西日本へ飛んで、これは兵庫県豊岡市の出石(いずし)のマンホール。
但馬の小京都と呼ばれ「皿そば」も美味しいが、描かれていたのは「辰鼓楼」

かつて、辰の刻に登城を知らせる太鼓が打ち鳴らされた楼閣である。
日本最古の時計塔とテッセンの花か?

出石

さらには、豊岡市の北に位置する山陰の名湯・城崎温泉のマンホール。
志賀直哉をはじめ多くの文学者に愛された温泉地。

石造りの橋と川端の柳が昭和初期の温泉情緒を色濃く残している街だ。
ここは桜ではなく柳を描いて欲しかった。

城崎

文学者たちに愛された温泉地は他にもある。
川端康成や井上靖と言えば伊豆・湯ヶ島が思い浮かぶ。
そのマンホールはこちら。

やはり文豪・川端康成の「伊豆の踊り子」だった。
花はアマギシャクナゲだろう。 う~ん、踊り子の目が怖い。

湯ヶ島

近県に移って、こちらは岐阜の郡上八幡のマンホール。
岐阜県には高山や古川など風情ある街がいくつかあるが、
その中でも僕はこの郡上八幡が最も気に入っている。

高山市ほど観光地化されてなく、こじんまりした静けさがいい。
描かれていたのは清流のヤマメだった。

このマンホールの下には清流が流れているような錯覚すら起こす。
これはなかなかのデザインだと思う。

郡上八幡


では、今日はおしまい。 次回、パート②に続く。

プロフィール

杉浦直樹

Author:杉浦直樹
『自然塾』塾長の杉浦直樹です。
日本自然保護協会
自然観察指導員

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