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秋の若狭路 青葉山

日本の各地には「○○富士」と呼ばれる美しい山容を成す山がいくつもある。
秀麗富士を愛する日本人、その思いがおらが村にも「○○富士」を生むのであろう。

中には「これが?」の疑問符がつく山もあるが、とりわけ美しい富士が若狭にある。
その名も「若狭富士」と呼ばれる青葉山はすこぶる美しい。

福井県と京都府の境にあり日本海に面してそびえ立つ。

若狭富士

11月も半ばを過ぎ里の紅葉もそろそろ終わり、日暮れも早くなり風も冷たさを増す。
されど、山から遠ざかることはない。 面白い山を見つけてきてはせっせと登る。

今回は1泊2日で○○富士と呼ばれる山を2座登る旅に出た。
「若狭富士」青葉山と福井県敦賀市にある「敦賀富士」野坂岳だ。

今年の夏に舞鶴若狭自動車道が全線開通して敦賀から小浜や舞鶴が近くなった。

青葉山

青葉山は京都府側から見ると東峰(693m)と西峰(692m)にはっきり分かれており
けして富士と呼べるような山容ではない。
しかし、福井県側から見ると双耳峰は重なり見事な三角形を成して見える。

ことに美しいのは若狭の海を手前にして見る青葉山は実に美しい。
(和田の海岸より波打ち際まで下り、寄せる波音を聞きながら撮影)

ツチグリ

青葉山の登山口は西国33観音霊場の第29番札所「松尾寺」境内の奥にある。
荒廃した竹林を抜けて雑木の山道に入ると足下に怪しげな物体を発見。

これはツチグリという秋によく見掛けるキノコ。 外皮は湿気を感じると星形に開き、
雨が降り雨粒が本体に当たると中央の口から細かい胞子を煙のように吐き出す。

雨が上がり乾燥すると外皮は再び閉じて球形となる。 良く晴れた日は風によって
転がり森を移動する。 離れた場所でまた胞子を飛ばし繁殖をするのだ。

こんなことからツチグリは「晴天の旅行者」とか「森の湿度計」とも呼ばれている。
たった2センチほどの小さなキノコ、よくこんな手法を考え出したものだと感心する。

ツクバネ

イロハモミジにウリハダカエデなど秋は紅葉する木々の葉に目を奪われがちだが
木の実も熟して赤や紫へと色を変え、その形も様々でまた面白い。

この羽根突きの羽根に似た実はビャクダン科のツクバネの実だ。
地味な色でなかなか見つけづらいが4枚の苞がユニークで茶花として使われる。

ツクバネはツガやモミなどの針葉樹の根から養分をいただく寄生植物だが
自らも葉緑体を持ち光合成をするため半寄生植物である。

大きな苞が翼となり回転することで落下速度が遅くなり、より長く空中にとどまる。
従って、わずかな風であっても種子は遠くへと運ばれる仕掛けだ。 
すべて計算された形がこれだった。

小浜西組

今回は小浜の古い街並みを歩く機会を得た。 初めて訪れる町だった。
小浜については鯖街道の起点となる町ぐらいの知識しかなかったが、
江戸時代は小浜藩がおかれ城下町として栄えた街だという。

ここ小浜西組は江戸時代の町割りの名で、かつて茶屋街があった場所である。
海岸通りより路地に入って行くと風情ある千本格子の町屋が何軒も並んでいた。

喫茶店など立ち寄れる場所はないものかと探し歩いていると、たまたま玄関先に
おられた地元の方に声をかけられ、しばらく立ち話をした。

かなり年配の女性であったが、その言葉は明らかに京言葉。
小浜は昔から若狭の海産物を京の都へと運んでいたため京都との交流が深く
京文化の影響を強く受けている土地柄であった。

料亭 酔月

この建物は明治初期に建てられたという料亭「酔月」。 栄枯盛衰は世の常、
今は人通りも少ないがかつてはこの二階の窓にも連夜のように宴の灯りが
ともっていたことだろう。

「酔月」の他にも何軒かの軒先に料亭の文字がかかる建物があった。
先ほど出会った人もこの界隈で仕事をされていた方だろうか。

京言葉の柔らかい響きだけでなく、お歳を召されても身なりはとても上品で
気品さえ感じさせ印象に残る方だった。 持論、街は人を育てる。

若狭の海に美しいシルエットを描く青葉山といい、千本格子の町並みに
暮らす人といい、今回は美しい日本を巡った旅であった。 おしまい。
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越後の山旅

秋の登山はやはり紅葉の綺麗な山がいい。 天高き青空に錦の山々が見たい。
栗駒山や八甲田山など、紅葉の綺麗な山は東北に多い。 
でも、さすがに東北は遠い。 車移動で足を伸ばせるのはせいぜい新潟までだ。

「そうだ、新潟に行こう!!」 どこかで聞いたフレーズだが、この秋の登山は
新潟の名峰「越後駒ケ岳」に決まった。

越後駒ケ岳は昨年の秋に登った浅草岳鬼面山コース同様に往復9時間を要する。
秋は日没が早く、下山時刻を考慮すると脚力が求められる。
同行者は昨年と同じガイド仲間3人となった。

ヤマウルシ

新潟へはいつも中央道と上信越道を使って北上して行くことが多かったが
今回は東名高速の海老名Jctから圏央道を経由して向かうことにした。

岡崎から南魚沼の小出までは約500キロ、所要時間は全線高速でおよそ6時間。
あまり馴染みのないルート、どこか道草できる面白い所はないか?
どこかに美味しい食べ物屋さんはないかとキョロキョロ。

「桐生のひもかわうどんはどうか」 何じゃ、それは。聞いたことも見たこともないぞ。
友人のその一言で急きょ高崎Jctから北関東道を桐生へと向かう。

サワフタギの実

昨今は便利な世の中となった。すぐにスマホで評判の良い店を検索して車のナビに
入れれば、いとも簡単に希望が叶えられる。

こうして全く予定していなかった桐生で「ひもかわうどん」を食べることになった。
どこまでも平坦な土地が続く関東平野をひた走り、赤城山の麓・桐生に着いたのは
ちょうどお昼12時だった。

八州

やって来たお店は「うどん 八州」、江戸時代の関東(相模、武蔵、安房、上総、下総、
常陸、上野、下野)八ヶ国を指す「関八州」から屋号を付けたのだろうか。

店は幹線道路から外れた街中にあり、地域の食堂といった感じであった。
白壁の日本家屋に、いかにもうどん屋さんらしい晒しの暖簾が似合っていた。

ひもかわうどん

メニューを見ると麺の種類は極太うどんから厚伸ばしひもかわ、薄伸ばしひもかわなど
5種類あったが、ここまで来たからには特徴のある「薄伸ばしひもかわ」にした。

どうやら付け汁で食べるらしく、肉汁、カレー汁など何種類かあり選ぶことが出来る。
季節は秋、迷うこと無くキノコ汁を選択した。

薄伸ばし

がっ、はっ、はっ ヽ(´∀`)ノ これが、うどんか!!
つるんとした食感にこの喉越しは何だ。 普通のうどんとは全く違っていた。

お揚げやキノコのたくさん入った付け汁で頂くと意外にお腹が膨れた。
これで680円とは大満足。 絶賛すべき桐生ひもかわうどん。

駒の湯

前泊したのは魚沼市の湯之谷温泉郷の最奥にある「駒の湯山荘」だ。
越後駒ケ岳の深い谷を詰めたところにあるランプの一軒宿である。

周囲に人家らしきものは一切無く、冬季は閉鎖される秘湯の宿。
湯量は豊富だが湯温が低い、ここは「長湯」という入浴法で入るとか。
源泉温度33度のぬる湯と過熱した湯に交互に浸かるのだという。

この季節、ぬる湯に長い時間浸かっているのはちょっと厳しいものがある。
温泉は少々期待外れだったが食事は期待以上の内容であった。

朱塗りの膳

朱塗りの膳に朱塗りの器、見事なまでに漆器で統一された膳である。
食前酒はマタタビ酒で黒毛和牛のユッケ、鶏のささ身の生ハムと山のご馳走があり
炭火で焼かれたイワナの塩焼きに、一品ずつ揚げるごとに運ばれてくる天ぷらなど。
電気のない山荘からこれだけの夕食は想像していなかった。

かつてこの地方の農家の人々は稲の収穫を終えると互いに労をねぎらう「田人呼び」
(とうどよび)という宴を設ける風習があったそうだ。 
機械化されない以前の農作業は過酷で村人総出の作業も多くあったに違いない。 
朱塗りの器に最高の料理を盛ってもてなし、互いの協力に感謝し絆を深めたのだろう。

こんな山奥で新潟伝統の漆器に出会うとは、山荘の心憎い演出である。
そして、朱塗りの器で頂く魚沼産コシヒカリの新米はまた格別の美味しさであった。

越後駒ケ岳

翌日、まだ朝もや煙る宿を早々に出発。 30分ほどで登山口となる枝折峠に着くが
ここも霧に包まれて遠景は望めなかった。

枝折峠はこの時季、条件が良ければ湧き立つ雲が山の稜線を越えて風下の斜面に
沿って流れる「滝雲」が見られる絶景ポイントだったが残念であった。

3時間も登るとようやく雲が切れて頭上に青空が見え、越後駒ケ岳も顔を出した。
しかし、山頂は遥か遠くあと2時間は歩かなければならない。 

行程のほとんどは尾根歩きで危険な個所は無く、眺望と紅葉を楽しむルートである。
風の強い日は苦戦するだろうが幸いにして今日は風がない。

眼下に銀山平と奥只見湖が見える。 その先は福島県、尾瀬である。
江戸時代、銀山平から駒の湯へと銀を運んだ「銀の道」も登山道と交差していた。

道標

午前6時30分から歩き始めて5時間、真紅とも緋ともいえるヤマウルシの紅葉や
鮮やかな瑠璃色の実を枝いっぱいに付けたサワフタギに励まされ、11時30分
ようやく越後駒ケ岳の山頂にたどり着いた。

2003mの頂に立つと荒沢岳、中岳、八海山が指呼の距離で見えた。
豪雪地帯の山々、いずれも鋭い岩峰をあらわに雄々しくそびえていた。

雪深き越後の山よ、また来年!!  さて、4時間かけて下るか。 (T_T)

栃尾又温泉

下山後も越後駒ケ岳の麓にある栃尾又温泉に泊まった。
ラジウム温泉として、また湯治場として有名な「自在館」だ。

湯治棟

こちらは本館の隣にある大正時代に建てられた木造3階建ての湯治棟。
う~ん、雰囲気あるなぁ、雪の季節はどんなだろう?

ここの温泉も源泉そのままのぬるい湯船と過熱された温かい湯船があり、
ぬるい湯に1時間~3時間ほど長く浸かり最後に熱い湯で温まってあがる
「長湯」という入浴で湯治をするのだとか。

本館も寛げる民芸調に造られていて、ホールには湯治場らしく将棋盤が置いてあり
何十年振りかで将棋を指し、にわか湯治客の気分を味わった。

地酒ケーキ

2泊3日の最終日は帰るのみ、帰路は長野回りで帰ることにした。
ゆっくり宿を立つと小出の町へ、この町の和菓子屋さんに立ち寄った。

魚沼の日本酒の銘柄に知る人ぞ知る「緑川」がある。 その酒蔵とタイアップして
作られたお菓子「地酒ケーキ緑川」を買いに寄ったのだ。

封を切ればほんのりと漂うお酒の香り、スポンジはきめ細かくしっとりとお酒を含み
とても美味しかった。 (笹だんごや柿の種だけが新潟土産ではないのだ)

へぎそば

国道17号から八箇峠を越えて国道117号へ入ると、そこは十日町。
ここにも素通りできない郷土色豊かな食べ物「へぎそば」がある。

そばのつなぎに布海苔を使用し独特のコシに喉越しがよく、へぎと呼ばれる器に
盛られて出される。 へぎとは剥ぐ(へぐ)の訛りだとか、杉の板を剥いだ木箱だ。

そして「手振り」あるいは「手繰り」といわれる方法で波模様に盛り付けられる。
写真のへぎそばは3.5人前、3人でもちょっと多い分量でお腹いっぱいになった。

今回も山を登りに行ったのか、温泉に浸かりに行ったのか、はたまた食べ歩きに
行ったのか、主な目的があいまいな旅となってしまった。

しかし、見知らぬ土地を旅するということはこんなものではないだろうか。
非日常に心踊らせ、様々な見聞に感動を覚えつつ、ひとつずつ思い出を重ねて
いくのだろう。 よき旅を、よき人生を歩んでいきたいものだ。

文化・歴史の旅

秋の長雨とはよく言われるが大抵の場合は9月中旬から10月上旬頃に続く雨を言う。
なのに今年は少し早いではないか。 8月の下旬から雨や曇天が続いた。
おかげで予定していた山行はすべて流れてしまった。

9月上旬は北穂高岳を案内する予定だったが、ここにきてまた二つの台風である。
3000m級の山に雨は危険が伴う。 登山を諦め観光へと切り替えた。

飛騨古川

今回の登山は北アルプスとあって3泊4日の日にちを組んでいた。
観光に切り替えたのはいいが4日間もどこへ行こうか。

遠方から来ていただくお客さんをがっかりさせてはいけない。
まず向かったのは「三寺参り」や「起し太鼓」で知られる飛騨古川の街だった。

瀬戸川

高山より北へ車で30分ほど行くと飛騨古川はある。
観光客でごった返す高山と違い、訪れる人は少なく静かな街歩きが出来る。

街を流れる瀬戸川は約400年前に新田開発のために造られたという。
農業用水だけでなく防火用水や流雪溝としても重要な役目を果しているが
城下町の落ち着いた風情にも一役買って、今は古川の顔にもなっている。

雲

古川の街を歩いているといつも家々の軒下に目が行く。
軒を支える腕木に木の葉や草模様が彫られ白く塗られているのだ。

これは「雲」と呼ばれる装飾で古川の大工の誇りを示す紋章である。
自分が建てた家には同じ「雲」を施すという。
それにしても木材をふんだんに使った家々が多いのに驚かされる。

四反田

高山の伝統的建物保存地区の上三之町でも街歩きをするが人ごみは好まない。
宿は少し離れた丹生川の旅館「四反田」さんに泊まった。
ここも立派な伝統民家造りの宿である。

四反田 玄関

翌日も小雨模様の空であったが、丹生川から安房トンネルを抜けて松本に出た。
次の目的地は長野・善光寺だった。

松代・武家屋敷

長野インターから僅か10分の所、ここにも静かな城下町がある。
六文銭で名高い真田幸村の松代藩だ。

雨ということもあり通りを歩く人は殆ど見られず、より一層静かな武家屋敷があった。
来年のNHK大河ドラマは「真田丸」だとか、この静けさも今だけのことであろう。

来年、大挙して訪れる観光客のうち何人の人が今から紹介する遺跡を見るだろうか?
平穏な佇まいの武家屋敷の裏山には忘れてはならない戦争の遺跡が残されている。

象山地下豪

これは太平洋戦争末期、日本軍が本土決戦に備えて極秘のうちに掘られた
「松代象山地下豪」という大本営跡である。

地下壕は見学者の安全のためヘルメット使用で一部だけの公開になっているが
想像する以上に大規模な施設である。

これには多くの朝鮮人が強制労働者として使われていた。
平和な世界が続くことを願い無料で公開されている。
日本人が見ておくべきこと、知っておくべきことがここにある。

善光寺

そろそろお昼、お勉強の後はお腹がすいた。 松代の北、小布施へと向かう。
栗の産地、小布施で外せないのは栗菓子と栗おこわ。
「桜井甘精堂」の栗わっぱ御膳をいただき、善光寺落雁を買う。

善光寺まで来るとやっと青空が顔を出した。 何日ぶりのブルースカイか!!
「食べ物にひかれて善光寺参り?」 善光寺の門前には和菓子「風月堂」がある。

玉だれ杏

長野はアンズの産地、杏を求肥で包んだ銘菓「玉だれ杏」をお店でいただく。
ばら売りがあり、なおかつお店でいただけるのが観光客には嬉しい限りである。

今宵の宿は長野の温泉を代表する渋・湯田中温泉郷にある「よろづや」さんだ。
到着するや否や早速、よろづやさん自慢の「桃山風呂」に浸かる。

脱衣所から湯船の建屋にいたるまですべてが木造であることに目を見張る。
首まで湯に沈み、手足を思い切り伸ばせば疲れがあふれる湯とともに流れて
いくようであった。

桃山風呂

3日目の朝、宿の窓から外を覗くと意外にも青空があった。
長野市民の山・飯綱山には雲がかかっていたが、志賀高原方面は晴れていた。
あわよくば笠ヶ岳か横手山に登れるかもしれない。

標高2172mの渋峠(日本国道最高地点)まで車を走らせると、やはり霧だった。
蓮池のほとりのナナカマドは僅かに色づき秋を装いつつあった。

蓮池

次の目的地は少し離れるが金沢の街を予定していた。
飯山から上越に出て北陸道を西へと向かうが、飯山にもちょっとした見どころがある。

登山者

それは「高橋まゆみ人形館」である。 
この人形作家の造る人形は何とも味わい深いものがあり、人の心を惹きつける。
お年寄りや子供の顔の表情は実に素朴で体型や仕草もよく特徴を捉えている。

さすが、唱歌「ふるさと」の生まれた土地である。 山の景色も人も郷愁を誘う。

ことじ灯篭

そして、新幹線開業で今年最も話題を集めた街・金沢にやって来た。
まずは近年、一番集客の多い美術館と言われる「金沢21世紀美術館」へ向かった。

プール

これは「スイミング・プール」と題されたトリックアートのような作品だ。
地上から見ると満水のプールのようだがプールの内部には地下から出入り出来る。

雲を測る

こちらは「雲を測る男」と題された作品。
独房で鳥類学者になった実在の囚人の言葉から発想された作品だとか。
定規を掲げる彼は何を考えて空を見ているのだろう。

夢二館

金沢での宿は市内から車で30分、金沢の奥座敷と言われる湯涌温泉に泊まった。
山間に旅館9軒ほどの小さな湯の里はかつて加賀藩・前田家のご用達湯であった。

また、美人画で知られる竹久夢二と彦乃がしばらく逗留した地でもあり
「金沢湯涌夢二館」が温泉街の中ほどに誇らしげに建っていた。

ひがし茶屋街

最終日となる4日目は金沢市内を散策することになった。
金沢観光の定番である兼六園や金沢城辺りはそこそこに
是非とも行きたかった場所は、ひがし茶屋街のお茶屋さんであった。

お茶屋

ここは国指定の重要文化財のお茶屋さん「志摩」である。
町家の造りとは異なり押し入れや間仕切りはなく、遊びを楽しむための優美さを
追求した部屋であることが伺える。

壁の色、小窓の竹格子、柱の釘隠し、襖の引手の七宝など細部にわたり
粋なしつらいを感じると同時に格式の高さも感じられた。

中庭

こじんまりとバランス良く植栽された中庭にも何故か目が留まった。
町方の社交場と言っても琴、三味線に舞と舞踊、さらに茶の湯から俳諧まで
幅広く高い教養がなければ遊ぶことが出来なかった。

そんな茶屋の一角で僕たちは立礼式(りゅうれいしき)でお抹茶をいただいた。

お茶菓子

運ばれてきたお茶菓子はツユクサをあしらったものだった。
ん?、ツユクサは夏の花ではないか、と思われるだろうがツユクサは和歌でも
秋の花として読まれることが多く、俳諧でも秋の季語とされる。
(う~ん、高い教養が求められる。) 添えられていた緑のモミジも納得である。

お抹茶

ほんのひと時、穏やかな時の流れであった。
観光客で賑わうひがし茶屋街の喧騒も、僕たちが旅の途中であることも忘れ
静かにお茶を楽しんだ。

きんつば

ここひがし茶屋街には金沢を代表する和菓子屋さんが何軒か店を構えている。
中でも「中田屋」さんのきんつばは絶品である。さほど甘くなくアズキの粒も大きく
全国に数あるきんつばの中でも一番おいしいであろう。

お茶屋 志摩

金沢など歴史ある街は古くから茶の湯の文化があり必ず老舗と言われる
和菓子屋さんが存在し、銘菓と呼ばれる和菓子が多くある。

それはご当地の素材を使った逸品であったり、名所からヒントを得た洒落た
名前のお菓子だったりする。

季節を写し、目を楽しませ、舌を喜ばせる。 そこには野趣を解する繊細な心と
職人の知恵が凝縮されている。 旅の達人ともなれば地方のそれを見逃さない。

茶屋街

出発の2日前に行き先が変更となり、急きょひねり出したプランは温泉旅行というか
和菓子行脚の旅というか確かな目的のある旅ではなかった。
しかし、日本の文化や歴史を訪ねる内容は盛りだくさんであったように思う。

走行距離も1000キロを超えて登山と変わらぬ体力を使ったが個人的には
充実の4日間であった。
果して、遠来のお客さんは満足されただろうか。

秘湯の宿 「法師温泉」

2014年9月中旬、2泊3日で谷川岳に出掛けた。

新潟の秘湯「貝掛温泉」と群馬の秘湯「法師温泉」に泊まり、谷川連峰の最高峰
仙ノ倉山に登ろうという贅沢な山行であった。

谷川岳と聞けばすぐに一ノ倉沢を連想してしまい、危険な山をイメージしてしまうが
谷川岳(1963m)自体は土合口から天神平までは「谷川岳ロープウェイ」が架かり、
いとも簡単に登れてしまう。

DSC00814.jpg

谷川連峰の最高峰は仙ノ倉山(2026m)で、第二の高峰が平標山(1984m)である。
僕たちはその仙ノ倉山と平標山の二座を目指した。 (写真は平標山の家)

ここ3年ほど前から「自然塾」で行く山旅はよく秘湯の温泉を利用するようになった。

朝の法師温泉

年齢を重ねれば体力の低下は歪めず登山は年々きつくなる。 頑張ったご褒美に
温泉で体の疲れを癒し美味しい料理を頂く。 これは山旅ならではの醍醐味である。

汗を流すだけの日帰り入浴ではなく、充分に体を休めて心をほぐせる温泉宿がいい。
また、せっかく遠出をしたならばその土地の名物や郷土料理を食べずして帰って
しまっては惜しまれる。

法師温泉

ここは群馬の名湯・法師温泉「長寿館」、国登録有形文化財の宿である。
三国峠の谷間にあり本館は明治初期、別館は昭和15年築でまさに秘湯の宿。
かつて国鉄の「フルムーン」のキャンペーンに使われ広く知られるようになった。

長寿館の「法師乃湯」は何と湯船の底にある岩盤から湯が湧出していた。
数ある温泉の中でも適温の温泉が自然湧出しているところは二十数か所だとか。

4つある湯船には丸太が渡されており、これを枕にして湯に浸かる。
薄明りに照らされた木造の建屋に程よい湯加減、のんびりと湯になじむ時であった。
明治28年築の「法師乃湯」は当時そのままの姿を残しているに違いない。

法師乃湯

そして、下の写真は僕が最も気に入ったお風呂、宿泊者専用の「玉城乃湯」だ。
普通、浴室にはタイルが使われるが「玉城乃湯」は壁も床も木で造られていた。
湯船の底には玉砂利が敷かれ建屋の中にあっても自然観のある風呂だった。

大きな窓ガラスの向こうは滝があり日本庭園にも見えるが実は大きな露天風呂。
すべて岩で造られ滝は温泉の湯滝で、まわりはイロハカエデが植栽されていた。
今まで秘湯の宿にはいくつか泊まったがお風呂はここ法師温泉が一番であった。

玉城乃湯

最終日、伊香保へ立ち寄り榛名山にも登った。 もちろんロープウェイで
榛名山の標高は1390mであるがその美しい姿から榛名富士とも呼ばれる。

山頂駅周辺にはマツムシソウやワレモコウが咲き、遠く本物の富士山も見られた。
見上げた空は澄み、秋の雲が浮かんでいた。  「そろそろお昼、お腹がすいた」

伊香保の名物はこの白く光沢のある「水沢うどん」 もともとは「水澤観音」の参詣者
向けに出された手打ちうどんだったが現在は殆どの店が機械製麺になったとか。

水沢うどん

そこで僕たちは美味しいと評判の店を尋ね今も手打ちにこだわっている店へ入った。
その店は温かいうどんは提供せず冷たいざるうどんだけ、つけ汁もゴマだれのみと
自信満々の店であった。

注文してから暫く待たされて運ばれてきた麺は弾力があり、つるつるとした食感が
とても美味しかった。
うどんはそれほど好きではない僕が初めて美味しいと感じたうどんだった。

群馬県と新潟県の県境、谷川岳は少し遠かったけれど沢山のことを知り、充実した
2泊3日間であった。

ノスタルジック「小樽」

梅雨が明け、都会では連日うだるような暑い日が続いている。 
アスファルトとコンクリートで固められた街の中は特に暑い。

そこへいくと北海道の夏は実にさわやかだ。
本州と何が違うのか。 それは湿度だろう。

同じ気温28度でも蒸し暑さが感じられない。 できるものなら
夏の間はずっと北海道に滞在していたいくらいだ。

今年は7月の大雪山に二つのツアーを案内した。
一つ目のツアー3泊4日と、二つ目のツアー3泊4日の間に
1日の空白があり、北海道に都合9日間の滞在となった。

時計台

一つ目のツアーを昼過ぎに千歳で見送るとすぐに札幌へと移動した。
しかし、悲しいかな山のガイドは市街地を全く知らない。

大雪山の登山道でいつ頃どこに何の花が咲くかを熟知していても
市街地に投げ出されると迷子になる。

とりあえずはタウンマップを片手に札幌市内を観光。
お決まりの時計台に赤レンガの旧北海道庁舎を見て回った。

マイピクーチャー 502

人口190万の巨大都市札幌、街はきれいに区画され美しい街並みであった。
だだの観光客とは違うナチュラリストの目には様々なものが飛び込んできた。

街路樹はオオバボダイジュ、メタセコイヤ、カツラ、イチョウなど。
どの木も高木となって歩道や分離帯に緑の木陰をつくっていた。

近代的なビルが建ち並ぶ街の所々に、僕の目を留める古い建物が見られた。
それは蔵造りの建物で普通に質屋さんであったり、薬屋さんであったりしていた。

昭和の初期の建物であろうか、その中の何軒かは洒落た喫茶店やレストラン
として使われ、街の風景に歴史の味を添えていた。

  『 開拓の 夢人たちの 礎が 今を見つめる ビルの谷間で 』

質屋さん

翌日の天気は快晴、北海道で自由にできる貴重な一日だ。
せっかくなので小樽まで足を伸ばすことにした。

小樽は北海道開発の歴史で大きな役割を果した都市である。
ぜひ、小樽の街を歩いてみたかった。

小樽観光の目玉はやはり運河であろう。だが、見るべき場所は他にある。
この街の繁栄はにしん漁から始まる。

にしん漁で巨万の富を築いた青山家の別邸が小樽郊外の丘に残されている。
その横に小樽市が斬新なレストランを併設し「小樽・貴賓館」と名付けた。

小樽・貴賓館

ここまで来るのにJR北海道が発行する「小樽・貴賓館きっぷ」という
ものを利用した。

そのプランは札幌ー小樽間の往復電車運賃と小樽駅から貴賓館までの
往復バス運賃に「旧青山別邸」の入館料と貴賓館でのランチ代がセット
されたお得な切符(¥4100)だった。

貴賓館ランチ

平日とあって昼時でもお客さんは少なく静かなレストラン、
にしん御殿「旧青山別邸」の見える窓際に座りランチを頂いた。

先付け、お造り、焼物、茶碗蒸し、煮物、揚げ物、水菓子、
どれも北海道の海の幸を取り入れた料理だった。

中でも、美味しく気に入ったのは〆鰊の押し寿司だった。
これで4100円は格安、お腹も心も満足、満足であった。

小樽・貴賓館

肝心な話し、にしん御殿「旧青山別邸」のことを忘れていた。

青山家は祝津の網元で、にしん漁で巨万の富を築き上げた家。
大正6年から6年もの歳月をかけて造られた別荘が「旧青山別邸」だ。

母屋の柱、梁、長押(なげし)、欄間は最高の木材を北前船で運ばせ、
18室ある各部屋の襖絵や書は名のある画家や書家に描かせた。

金に糸目をつけず建てられた正に「にしん御殿」である。

旧青山別邸

百畳敷きの大座敷、漆塗りの長い廊下、波打つ板ガラス、そのどれもが
時代を感じさせた。 特にたも材の階段は見事であった。

小樽を訪れることがあったら是非、ここに来ることをお薦めする。

 『 牡丹咲く 雅の館 今もなお にしん待つかな 海を見下ろし 』

漆喰までも黒く塗られ、落ち着きと威厳のある建物は
涼やかな夏風の中で、今も石狩湾を望む高台にあった。











プロフィール

杉浦直樹

Author:杉浦直樹
『自然塾』塾長の杉浦直樹です。
日本自然保護協会
自然観察指導員

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